年齢主義(ねんれいしゅぎ)と課程主義(かていしゅぎ)とは、教育学において教育制度上で対立する二つの主義である。この語には、学年制度・入学制度の場面で使われる意味と、義務教育制度の場面で使われる意味がある。
学年制度・入学制度の意味での年齢主義と課程主義は、学校などにおいて、学習者をどの学年に所属させるか(進級させるか)や、どのレベルのカリキュラムを与えるかや、入学志願者の入学を許可するかを決定する際の、判断基準となる考え方のことを指す。この場合は、年齢主義では、学習者・入学志願者の年齢によって学年・学習内容・合否が決定され、課程主義では、学習者・入学志願者の学力(習熟度・到達度)や履修状況(学歴)によって学年・学習内容・合否が決定される。通常はこの意味で用いられるので、本記事では、主にこれについて詳述する。
義務教育制度の意味での年齢主義と課程主義は、何をもって義務教育期間(就学年限)の開始と終了とみなすかを決定する際の、判断基準となる考え方のことを指す。この場合は、年齢主義では、一定の年齢に達したら義務教育期間は終了し、課程主義では、一定の課程を修了したら義務教育期間は終了する。これについては教育行政学の範疇なので、「義務教育」の記事内で詳述する。
また学年制度・入学制度の意味と義務教育制度の意味の両方において、年数主義という第三の用語が使われる(後述)。
英語では学年制度の意味の年齢主義にage-grade system(年齢-学年制)の語が当てられることもある。
年齢主義は図1のように、学習者の年齢によって、決まった学年または学級に所属する形態である。このため年齢主義の学校では、基本的には同一学年には同じ年齢(本記事では、生年月日が1年以上違わない事を指す)の生徒だけが在籍しているが、同じ学年でも生徒間の学力は大きく異なっている。基本的には、生徒Aのように全くトラブルがなく良好な成績評価のまま卒業まで至ることを理想状態としている制度である。生徒Bのように休学期間があっても、復学時は「年齢相当学年(後述)」に復帰する。生徒Cのように途中で成績が低下しても、原級留置は行なわれずに年を追うごとに進級する。ただし、補習や特別支援学級への移籍などの能力別教育が行なわれる場合もある。この図では省いたが、成績が良好な生徒に対しても飛び級は行なわれず、1学年ずつ進級する。ただし、拡充(発展的な授業、エンリッチメント)や才能開発コースへの移籍などの能力別教育が行なわれる場合もある。異種の制度からの転入生・編入生を除けば原級留置も飛び級も存在しない形態である。日本においては、ある学年に低年齢で在籍できないという問題よりも、高年齢で在籍できないという問題を指す場合に、この用語が使われることが多い。
課程主義は図2のように、学習者の学習段階によって、決まった学年または学級に所属する形態である。このため課程主義の学校では、基本的には同一学年には異年齢の生徒も所属するが、同じ学年の生徒間の学力はあまり異なっていない。生徒Aのような場合は、年齢主義の学校と変わらない進級の仕方をする。生徒Bのように休学期間があった場合は、復学時には以前に在籍していた学年に戻る。生徒Cのように成績が低下した時は、原級留置が行なわれて同じ学年を再度履修する。この図では省いたが、成績が良好な生徒などに対して飛び級をさせる場合もある。所属する課程は、進級試験の成績などの純粋な学力によって決められる場合もあるし、出席日数などの履修状況や、授業理解力などの知能水準によって決められる場合もある。日本においては、飛び級が行なわれるという部分よりも、原級留置が行なわれるという部分を指す場合に、この用語が使われることが多い。
多くの国の学校制度では、完全な年齢主義または完全な課程主義のどちらかであるわけではなく、片方の影響が強いという程度である。例えば日本では、義務教育段階での多くの学校の考え方は年齢主義にかなり近いが、原級留置や就学猶予も稀にあるので、課程主義的な要素も存在する。逆に高等学校では、制度上は課程主義が原則であるが、多くの高校では最低年齢の生徒が多いため、実態として年齢主義的な要素も存在する。また義務教育段階で課程主義を基本としている諸外国でも、原級留置が2回程度しか許可されなかったり、一般的な在学年齢との差が大きい人は在学できなかったりする場合もあり、年齢主義的要素が存在しないわけではない。
年齢主義と課程主義は相互に対立する概念だが、同様な対立する概念として履修主義と修得主義がある。履修主義は授業に出席していれば実際に学力が身に付いたかを問わずに進級または単位取得をさせる考え方のことで、年数主義(後述)と類似した考え方であり、年齢主義ともある程度近い考え方である。修得主義(習得主義)は実際に学力が身に付かなければ次の課程に進まない考え方であり、課程主義と類似した考え方である。ただし、この節の最後で後述するように必ずしも定義は確定していない。ただしどちらも課程主義の一種と考えることもできる。修得主義は真の課程主義であり、履修主義は年齢主義や年数主義に近い課程主義である。
学校の入学志願者に対して入学を許可するかどうかを決定する際の判断基準としても年齢主義と課程主義という用語が使われる。年齢主義の選抜制度の場合は、志願者の学力や学歴に関係なく、一定年齢である場合に入学を許可する。年齢基準は下限のみの場合、上限のみの場合、両方ともにある場合が考えられる。課程主義の選抜制度の場合は、志願者の年齢に関係なく、学力や学歴が基準を満たしている場合に入学を許可する。現実には、「15歳以上、かつ入試問題で一定以上の点を取ること」というように、年齢主義と課程主義を併用する例も考えられる。(なお、入学決定基準の意味では「年数主義」の用語は使われない)
前述した進級基準・入学基準の意味以外に、義務教育の開始時期と終了時期を決める際の基準としても、年齢主義と課程主義という用語が使われる。年齢主義の義務教育制度では、義務教育終了年齢の時点でどの学校のどの学年に所属していても、義務教育期間が終了する。例えば就学猶予をしたり、学齢期に飛び級・原級留置をしたりしても、義務教育終了の年齢は変動しない。課程主義の義務教育制度では、定められた課程を修了していなければ、何歳になっても義務教育期間が継続する。日本など、多くの国の義務教育制度では年齢主義を取っている。多くの地域では、国家の近代化にともなって、義務教育終了基準は課程主義での運用から年齢主義での運用に移り変わってきている。なお、この意味での年齢主義と課程主義は、進級基準における年齢主義と課程主義とは関係がない。たとえば進級基準について課程主義を取っていることで有名なフランスでも、義務教育終了基準は年齢主義であるし、進級制度がどちらの主義であるのかと、義務教育制度がどちらの主義であるのかは、特に関連性がないといえる。この意味の用法については、「義務教育」を参照。
定義の曖昧さ
日本においては、年齢と学習段階のどちらを基準にして進級すべきかという方面の教育制度については、1947年の学制改革以来約60年間にわたり以前の習慣にならう意識が強く、その改革や研究についてはあまり話題にならなかったため、各用語はあまり意味が整理されていない。そのため、年齢主義、年数主義、課程主義、履修主義、修得主義という用語のうち、どの用語にどの意味を付与するかということは、それぞれの学者によって考え方が違うため、事典などでさえも定義が統一されていないのが現状である。例えば年齢主義と課程主義を、進級基準の意味で解説している事典もあるが、義務教育終了基準の意味で解説している事典もある。また年齢主義と年数主義を同じ意味で使っている事典、履修主義と修得主義を同じ意味で使っている事典も存在する。なお本記事では、年齢主義・課程主義については、記事全体では「何を基準として当該学年に所属させるか(進級させるか)」という進級基準の意味で使用・解説し、「何を基準として義務教育期間の開始と終了とするか」という義務教育終了基準の意味でも、特記した上で部分的に使用・解説している。
また、年齢主義という言葉は、「一定年齢にならなければ入学・進級できない」という意味に使われる場合と、「一定年齢になれば卒業(退学)・進級しなければならない」という意味に使われる場合がある。課程主義という言葉も、「一定の学力がなければ入学・進級できない」という意味に使われる場合と、「一定の学力があれば早期卒業・飛び級できる」という意味に使われる場合がある。このため、上記のようなことを細かく論ずる際には、年齢主義・課程主義という言葉をそのまま用いるよりも、「強制進級制」や「進級試験制」、「飛び級制度」や「最低年齢制限」などの個別の用語を用いた方が理解しやすい場合もある。
年数主義
年齢主義と課程主義とは別の概念として、年数主義(ねんすうしゅぎ)という用語を使用する場合もある。これは日本では年齢主義と同じ意味に用いられる場合も多いが、「在学年齢が何歳であっても、飛び級や原級留置を行なわずに進級し、一定期間在学すること」という意味合いで、在学期間を増減しない考え方の意味に用いられる場合もある。例えば日本のように、初等教育への就学年齢がほぼ一定である制度のもとでは、年齢主義と年数主義はほぼ同じ意味となるが、諸外国のように就学年齢をある程度自由に決められる制度のもとでは、年数主義と年齢主義は違った意味合いを持つ。例えば、小学校の修業年限が6年間と決められていて、実際に6年間で修了する場合でも、6歳のときに入学すれば12歳のときに卒業することになるし、8歳のときに入学すれば14歳のときに卒業することになる。このように、在学期間が同じであるが在学年齢が違う場合は、年齢主義とは呼べないが年数主義とは呼べる。すなわち、原級留置・飛び級を行なわない制度であっても、就学年齢に違いがあれば同一学年同一年齢でなくなるため、年齢主義と呼ぶことは不適切になるのである。近年、文部科学省の中央教育審議会では、就学年齢の弾力化を検討する際に、これまで年齢主義と同義に扱ってきた「年数主義」の語に対して、上記のような新しい意味を付与するようにすることが提案されている(下記リンク参照)。
上記の三用語を分ける考え方では、一般的には年数主義は課程主義と年齢主義の中間に位置する考え方であるとされている。しかし、年齢主義と課程主義は対立する考え方であるが、年齢主義と年数主義が並存する場合(たとえば就学開始年齢を固定する場合)もあるし、課程主義と年数主義が並存する場合(たとえば出席日数のみを進級の基準とする場合)もあるので、年数主義は必ずしもどちらかと対立する概念ではない。
年数主義は、開発途上国に多い類型であるといわれている。なぜならば、開発途上国では貧困や義務教育制度の不完全さのため、就学時期にばらつきがあるためである。
一方、義務教育終了基準の意味での年数主義は、一定の学齢期に一定期間の就学義務があるという制度のことである。
比較
| 比較 | 年齢主義 | 年数主義 | 課程主義 |
|---|---|---|---|
| 学年内年齢 | 一定 | 入学年齢が同じ場合は一定 入学年齢が違う場合は不定 |
不定 |
| 学年内学力 | 不定 入学者選抜により一定以上にできる 学力別学級では学級内学力は一定 |
不定 入学者選抜により一定以上にできる 学力別学級では学級内学力は一定 |
一定 |
| 飛び級・原級留置 | 同一制度内であれば不可能 異制度からの転編入では存在 |
不可能 | 可能 |
| 高年齢での入学・就学猶予 | 不可能 | 可能 | 可能 |
| 成績不良者に対する対応 | 補習 | 補習 | 原級留置、補習 |
| 成績優秀者に対する対応 | 拡充(発展的な授業) | 拡充 | 飛び級、拡充 |
年齢主義の制度においては、在学者の学習段階を考慮せずに一律に進級させることになるため、同じ年齢の生徒が同じ学年に所属し、同年齢集団を形作る。また、成績の良し悪しによって所属する学年が変わらないため、原級留置になったことによる敗北感・劣等感を与えないということもある(もっとも、原級留置になったことによって劣等感・敗北感が生まれるかどうかはその文化圏によって違うが)。体力・社会経験などを考えると、小学校段階、あるいは中学校段階までは同年齢集団での教育が望ましいとの考え方もある。同じ学年に学力が違う生徒が所属することによって起こる問題については、成績不良者に対する補習、成績優秀者に対する拡充(発展的な授業、エンリッチメント)、習熟度別学級編成、入学者選抜などの、能力別教育を実施することによって緩和され、ある程度個人差にあった教育が可能である。ただし逆に言えば、こういったフォローがしっかり行なわれないと、学業不振者を見捨てることになる制度でもある。
しかしながら、「年齢相当学年(後述)」の学習内容と本人の学力の差が2学年程度であれば、上記のような能力別教育などで対応できるが、大幅に年齢相当学年の学習内容と本人の学力相当の学習内容が異なる人の場合はそれも困難である。また、すでに最高学年の相当年齢を過ぎた人(学齢超過者)に至っては、入学すらできないことになる(学齢も参照)。学校教育は若年者のみが享受するものではなく、生涯学習の重要性が叫ばれているが、高年齢を理由として入学が不能になると、若いころ学校教育が受けられなかった人はもはや学校教育を受けることが不可能になるし、一度学校に行ったものの学習成果がなかった人に対してもやり直しのチャンスを与えないことになる。また、年齢主義の制度のもとでは、拡充・補習を行なうかどうかに関わらず、学年が高くなるほど生徒間の学力差が増大してしまうという問題があり、一定の課程を修了していなくても自動的に学校を卒業することになるため、形式的卒業者が増え、その学校を卒業したことによる「一定の学力がある」という社会的信用が失われる。また、習熟度にあった十分な教育が行なわれないと、本人の基礎学力がなくても自動的に進級することになるため、学年が進むにつれてますます授業を理解できなくなり、落ちこぼれを作ってしまうという問題がある。逆に成績が優れている生徒の場合は、授業で教わることをすでに知っていたりして、浮きこぼれとなってしまう。また、年齢主義を取っていない学校や、外国の学校などの全くカリキュラムが違う学校で過ごしてきた生徒が転編入する際に、以前のカリキュラムと合わない学年に編入されてしまうという問題がある。これは上学年に編入される場合、望まない飛び級といわれる。
課程主義の制度においては、学力を基準として学習集団を作れるため、学級内の学力の水準は同質であり、授業がすすめやすい。また、選択的不登校や身体療養などのための休学の後も、学年は自動的には進級していないため、自分の年齢に追われずにゆとりを持って教育を受けられる。また、年度末生まれなどで発達がゆっくりしている児童でも、就学猶予や低学年時の原級留置を行なうことにより個人のペースにあった授業を受けられる。また、年齢主義制度で見られる、補習授業や拡充授業を行なう際の、同年齢集団から同学力集団を抽出するという手間が存在しないため、学校側にとって教育課程の運営がしやすい。またこれは副次的な効果であるが、異年齢学級では学力的には等質でも社会体験の異なる集団での学校生活となるため、現実社会と同様な場を作れる。
しかしながら、学力のみを進級基準とした制度のもとでは、成績が著しく悪い生徒は何度も原級留置をすることになり、そういった生徒への適切な支援が難しい。また、知的障害や学習障害など、学習面で障害がある生徒の場合、進級基準を杓子定規に適用すると、何年たっても最低学年のままになるという問題が発生してしまう。こういった生徒に対しては特別支援学級や特別支援学校などの特別支援教育の場で教育するという配慮をすべきだといわれるが、明らかに重度の障害の場合は所属先を迷わずにすんでも、ボーダーライン上にある生徒の場合は、どこからどこまでが健常で、障害なのかを分けることが難しいため、普通学級で補習を受けながら原級留置をするか、特別支援学級で特別支援教育を受けながら進級するかを決める判断が難しい。実際、明治初期の日本の小学校では厳格な進級試験があったため、障害児は落第を繰り返すことになった(後述)。また、低年齢で高い学年に飛び級できる制度のもとでは、低年齢で上学年・上級学校に行くのは心身発達の面で生徒にとって好ましくないという説もある(ただし高等教育段階では悪影響は少なく、アメリカ合衆国では大学早期卒業者の将来は良好なようだ)。
年齢主義と課程主義のどちらが生徒にとって優しい制度であるのかについては、はっきりとした答えは出されていない。原級留置になることや同年齢平均者に対して学年が低いことを恥とみなす文化圏では年齢主義が歓迎され、そうでない文化圏では課程主義が歓迎される傾向がある。たとえば心理学者の河合隼雄は1960年代のスイス在住時に、現地の学校では低年齢でも原級留置が行なわれることに驚いて、日本ではそういうことはないと誇りながら言ったら、逆に現地の教員から日本の教育は不親切だと言われたという話がある (講演を参照)。また、どちらの方式が生徒自身が他人との能力の差を気にしなくてよいのかということも一概には言えない。年齢主義の場合は自分の所属学年を見ただけでは能力差を意識しにくいが、同学年の生徒間では能力差が大きいため、日常的な学校生活では他生徒との能力差を意識するシーンが多い。課程主義の場合は自分の所属学年によって能力差を意識せざるを得ないが、同学年の生徒間の能力差はあまりないため、日常的な学校生活で能力差をあまり意識せずにすむ。しかし日本では、ほとんどの小中学校が年齢主義を基本として運営されているという画一的な状態であるため、日本国内での両者の比較は難しいという問題がある(後述)。もっとも、こういった比較は学齢者の場合であって、学齢超過者の場合は、年齢主義の制度のもとでは原級留置の弊害を議論する以前に入学すらできないという大問題があるので、課程主義または年数主義の制度でしか対応できないことになる。
また、課程主義制度の場合は、同年齢の平均よりも下の学年に在籍していることが、能力的な劣等感を生むといわれるが、年齢主義制度であっても、完全に一律化(平等化)された教育が行なわれているのでない限り、学力によって個別に教育方法が変わるし、成績評価も変わる。すなわち、習熟度別学級で基礎クラスに在籍していたり、あるいは放課後に補習を受けたりする場合や、テストや通知表の評価が低かったりする場合でも、学年の違いほどではないが「他の同年齢の生徒と違う」という劣等感の原因となるので、年齢主義制度だからといって劣等感を生まないわけではない。
課程主義の制度のもとでは、進級時期が来るたびに学力などによって各生徒が振り分けられるが、年齢主義の制度のもとでは、クラス替えを行なわなければ毎年同じクラスメートになる。このため、課程主義では進級時期の度にクラスのメンバーが変わるので、同級生と離れ離れになる体験を味わうというマイナス面が指摘される。しかし、逆に飛び級や原級留置をすることによって新しい同級生と知り合える機会も2倍増えるうえ、もとの学年でいじめが存在した場合も加害者と離れられるので、必ずしもマイナス面ばかりではない。また、授業時間外で友人間の交流が容易な場合は、離れ離れになることによる問題は緩和できる。また、クラスのうちどのくらいの生徒が飛び級・原級留置の対象となるかによっても影響の度合いは変わり、クラスで2、3人程度しか飛び級・原級留置をしないのであれば、新しいクラスには前の同級生が誰もいない可能性が高いが、クラスの数割が飛び級・原級留置をするのであれば、新しいクラスにも前の同級生がいる可能性が高くなる(もっとも、1学年を進級単位とする学年制においては、クラスの数割も飛び級や原級留置をすることはほとんどないであろうが、6ヵ月進級制や3ヵ月進級制においては、そういったことも考えられる)。
また、「等質集団」と「異質集団」のどちらが教育効果が高いかという観点も色々な論がある。課程主義は学力的な等質集団、社会的な異質集団を形作り、年齢主義はその逆である。一斉教授法のもとでは、学力的な等質集団の方がずっと授業がしやすい。しかし、習熟度別学級編成には効果がないとする論者からは、「協同学習」や「共学び・共育ち」という標語のもと、学力異質集団の方が教育効果は高いという意見も出されている。しかし逆に、年齢階層が異なる社会的異質集団の方が社会的な面の発達が促されるという意見もあり、どちらがより良い方法であるかは不明である。ただし、年齢主義の制度でも、イベント時などに異学年生徒と触れ合うという形で、異年齢集団との交流を実現することも可能ではある。
両者の中間に当たる年数主義の場合は、入学時期が適切であれば、課程主義に見られる原級留置の悪影響などもなく、年齢主義に見られる発達段階に合わない授業もない。ただし、入学年齢が可変である以外は年齢主義と同様であるため、入学後の成績の変化などに対しては対応できないという問題がある。
こういった年齢主義・課程主義・年数主義という考え方は、全教科・全科目を特定の学年や等級に所属して学ぶという、従来の学年制や等級制のシステムにおける考え方であるが、これ以外にも、グッドラッド・アンダーソンによって提唱された無学年制や、教科ごとに違う学年で学ぶという部分飛び級・部分原級留置の形を取ったシステムなど、新しい取り組みはいくつか存在する。ただし、決定的な改良案といえるものは存在しないようだ。
よくある誤認識
前述のように、年齢主義を取る制度では集団内に学力が異なる生徒が存在するという問題はよく注目されるが、それと同様に集団内に社会性や体格などが異なる生徒も存在するということにも注目しなければならない。生年月日を基準とした年齢主義を押し通すことは、むしろ知能年齢や肉体年齢や社会性の発達段階などの、いわば発達年齢の差を生むことになってしまう。もっとも課程主義でも社会性や体格ではなく学力に応じて学年が決まるため、この問題は課程主義にすれば解決するわけではないが、年齢主義で運用したとしても、異質になるのは学力だけではないという事にも留意すべきである。そもそも心理学的には、平均的に見ると社会性と知能・学力は一緒に発達するものであり、学力が高い生徒は知能や社会性も発達している例も多いため、むしろ課程主義の方が発達年齢が似通った生徒が集まる可能性もある。
課程主義の導入に対する懸念を持っている側からは、「課程主義を導入すれば、成績が悪いと原級留置になってしまうので、学校生活が窮屈になる」との批判があるが、課程主義は必ずしも成績が悪ければ強制的に原級留置をすることになる制度を意味するわけではない。進級基準の厳格化は学力低下の対策として万能ではなく、本人が原級留置に対して抵抗があるのに成績不良を理由として強制的に原級留置を行なうと、学習意欲が減衰したり不登校になったりするため、むしろ逆効果になることが予測できる。このため公立小中学校であれば、成績不良であっても強制的に原級留置にすることは避けるべきだとされている。実際に課程主義を取っているフランスでも、進級に当たっては本人や保護者の意見を聞くようになっている。また原級留置は欠席のために授業を受けられなかった場合や、外国からの帰国直後などで語学力が不足していた場合に限定すべきだといわれる。なぜなら、そういった理由があったために履修が困難だった場合は、原級留置後に十分な条件で授業を受けることによって対応できるが、1年間毎日出席して授業を受けているにも関わらず成績不良となった場合は、通常の授業では効果が薄かったことを意味するので、そういった生徒が全く同じ内容の授業を翌年にもう一度受けたとしても、効果的に学力が身に付くとは考えにくいからである。この観点からすれば、成績不良を理由とする原級留置の効果は薄いと考えられるので、学業不振の生徒に対しては、補習、カウンセリング、特別支援教育の実施というように、個人にあった支援を検討するべきである。また、現行の原級留置制度は、1年を単位とする学年制のもとでは失うものが大きいという欠点もある。例えば約1年休学した生徒であれば原級留置になるのは迷わないが、半年間休学した生徒は、原級留置にするべきか、補習を受けつつ進級すべきか迷うという問題がある。ただし、成績不良の生徒であっても、8歳ごろまでであれば、生まれ月、出生時体重、幼稚園・保育所就園の有無、家庭環境などで個人差が大きいため、現時点での成績が悪くても時間を与えることで個人差をカバーできると考えられるので、就学猶予と同様な考え方のもとに、原級留置によって発達を待つという考え方もある。
なお、課程主義の定義に対する混乱や知識不足から、財政面について誤った見解が出される場合もある。たとえば、「義務教育費国庫負担制度がある国では、義務教育期間に原級留置が行なわれると教育税が1年分余分に国庫から支出されてしまうため、原級留置の適用拡大は国家財政に負担を与える」という主張が時折見受けられる。しかしこの説は、「一定の課程を修了するまで無償の義務教育期間が終了しない」という制度を指している「義務教育終了基準についての課程主義」によって義務教育制度が運営されている場合であれば、原級留置が行なわれると義務教育期間が延長するので、正鵠を射ているのであるが、「一定の年齢に達するまで無償の義務教育期間が終了しない」という制度を指している「義務教育終了基準についての年齢主義」によって義務教育制度が運営されている場合には、原級留置が行なわれても一定年齢で義務教育期間が終了するため、的を射ていない説なのである。よって、上記のような主張を根拠とした「課程主義の導入は国家財政に負担を強いるので反対である」という意見は、「義務教育終了基準についての課程主義」を導入しようとすることに対する批判なのであれば当てはまるのであるが、「学習者が一定の課程を修了しなければ学年を進級させない」という制度を指している「進級基準についての課程主義」を導入しようとしていることに対する批判なのであれば、無関係なので当てはまらない批判なのである。要するに、義務教育期間の終了基準が年齢主義で運用されていれば、学齢超過者の授業料は原則として自己負担となるので、原級留置が増加しても財政面での負担は増加しないのである。また、飛び級も可能とする課程主義制度を取った場合は、たとえ義務教育期間の終了基準までも課程主義に変更しても、原級留置と飛び級がほぼ同数であれば、財政面の負担は変わらないと考えられる。
実例
下記のように、全ての教育方針が年齢主義と課程主義のどちらかに分類できるわけではなく、両方を部分的に併用している場合もある。
- 完全な年齢主義のみの例
- (進級時)4月1日時点で7歳であれば小学2年生、8歳であれば小学3年生という風に、学力に関係なく完全に年齢と学年を対応させる。病気などで欠席しても年齢とともに進級する。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳である者」で、学歴要件や入学試験はない。
- 年齢下限のみの年齢主義のみの例
- (進級時)4月1日時点で7歳であれば小学2年生以下、8歳であれば小学3年生以下という風に、学力に関係なく年齢によって学年の上限が決まる。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳以上である者」で、学歴要件や入学試験はない。
- 履修主義の課程主義のみの例
- (進級時)出席日数が足りていれば進級し、足りなければ原学年に留め置かれる。年齢と無関係に学年が決まる。
- (入学時)入学資格が「3月に中学校を卒業する見込みの者、または中学校を卒業した者」で、入学試験や年齢制限はない。
- 修得主義の課程主義のみの例
- (進級時)進級試験に受かれば進級し、落ちれば原学年に留め置かれる。年齢と無関係に学年が決まる。
- (入学時)入学試験に合格しなければならないが、学歴要件や年齢制限はない。
- 履修主義かつ修得主義の課程主義のみの例
- (進級時)進級試験に受かり、出席日数が足りていれば進級し、進級試験に落ちるか出席日数が足りなければ原学年に留め置かれる。年齢と無関係に学年が決まる。
- (入学時)入学資格が「3月に中学校を卒業する見込みの者、または中学校を卒業した者」で、入学試験に合格しなければならないが、年齢制限はない。
- ただし中学校の卒業可能年齢が一定以上の場合は、実質的に下限のみの年齢主義も内包している
- (入学時)入学資格が「3月に中学校を卒業する見込みの者」で、入学試験に合格しなければならないが、年齢制限はない。
- ただし中学校の卒業年齢が一定の場合は、実質的には完全な年齢主義に近い
- 年齢下限のみの年齢主義+修得主義の課程主義の例
- (進級時)進級試験に受かれば進級し、落ちれば原学年に留め置かれるが、4月1日時点で7歳であれば小学3年生以上になれず、8歳であれば小学4年生以上になれない。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳以上である者」で、入学試験に合格しなければならない。
- 年齢上限のみの年齢主義+修得主義の課程主義の例
- (進級時)進級試験に受かれば進級し、落ちれば原学年に留め置かれるが、4月1日で7歳であれば小学1年以下になれず、8歳であれば小学2年以下になれない。
- 完全な年齢主義+修得主義の課程主義の例
- (進級時)4月1日時点で7歳であれば小学2年生、8歳であれば小学3年生という風に、完全に年齢と学年を対応させ、進級試験に合格できなければ退学になる。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳である者」で、入学試験に合格しなければならない。
- 完全な年齢主義+履修主義かつ修得主義の課程主義の例
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳である者」と「3月に中学校を卒業する見込みの者」で、入学試験に合格しなければならない。
以上のように、実際の制度は年齢主義あるいは課程主義の一言で言い表せるものではなく、細分化されている。また、ある学年は基本的に原級留置を行なわず、ある学年で厳しく落第させるといった、学年ごとに方針が異なるという例もある。
世界的な流れ
年齢主義も課程主義も、学校が現れてからの概念であるが、必ずしも普遍的な義務教育制度が完成してからの物ではない。古代より学校そのものは存在し、一部の階層を対象に教育が行なわれていた。近代的な学校以前の教育施設は、制度も目的も対象者もさまざまであり、また初等学校と高等学校との連携が取られていたわけではない。
傾向的には、世代が下るにつれ初中等教育が年齢主義的になっている。これらは、義務教育制度が発達し、児童労働の防止の観点から就学義務が設けられるなどの趨勢と一致し、小学校は児童のための学校という認識が強まっていった。また、徴兵制などのもとでは、知識レベルではなく体格レベルでまとめた方が将来の兵士の養成に役立つため、学校もそういった形態になりやすい。例えばナチスドイツ期のヒトラーユーゲントや、日本の青年学校なども、徴兵制などと密接なかかわりがあった。学校と軍のかかわりが強いと、国民の錬成の観点からも年齢主義は歓迎される。
学校を知識習得のための場としてだけみるならば、年齢主義は意味がないが、心身の発達に応じて教育を施すことを目的とするのであれば、やはり同年齢教育に近い方が指導しやすい。この点は、学校外教育がどの程度充実しているかによっても異なり、例えばボーイスカウトなどの青少年の共同団体が一般的である社会とそうでない社会によっても異なる。また専業主婦が多かったり、大家族が多かったりする社会では、学校は純粋に知識の獲得のみの役割を担うことが容易である。
しかし、生涯学習の理念に基づき、教育は若年期だけのものではないという考えから、各国で在学年齢の広範囲化がすすんでいる。これらは特に大学などで顕著で、欧米ではさまざまな年齢の大学生が存在する。また積極的に低年齢者を大学に入学させている国も存在するなど、制度はあくまで二の次であり、個人の特性を第一に考えている場合も多い。
歴史的には、近代的学校制度が整うまでに一般的であった
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